セミリタイアと定年退職後に得た自由な時間はまるで価値が違う理由。



人生に与えられた時間には限りがある。

時間というのは、止まらずに無限に経過していくものですが

主観で考えると 時間には限りがあります。

自分が死んでしまえば、自分に与えられた時間はそこで止まってしまいます。

時間はどんなに作ろうと思っても、限りがあるので、貴重であると思います。

お金はほぼ無限にある

それに対して、お金はほぼ無限に増え続けます。

歴史上1971年までお金は有限でした。

1971年までお金は金(ゴールド) 1オンス=35ドル で交換出来る、金兌換性を取っていましたが、この日を境に、事実上お金は無限に発行できるようになりました。

これにより、お金が枯渇することがないので、経済活動は活発的になりましたが、正解の中央銀行が事実上無限にお金を擦れるので、世界中に出回っているお金は増え続けていますが、お金の価値は日々薄まり、価値が下がり続けているといっても過言ではありません

つまり、お金を何のために使うものか明白化させて適時に使わないと、お金を貯めても無意味なものとなります。

お金を時間に換えることは、お金以上の価値が生まれる。

若いときに、お金で買った時間はとても価値があります。

例えば若い時に稼いだお金は1000円かもしれないけど、その分労働をせずに若いうちに買い戻した時間は1000円以上の価値になると思います。

若いときは、体力もありますし、脳も衰えていないので、その事由になったと時間で得られるものは、濃密なものになります。

残念ながら、現在の科学では人間の老いには勝てないので、年を取れば、病気をしたり、体が動かなくなってきます。人によっては記憶力が衰えたりします。

若いときにした経験などは、非常に新鮮で今も鮮明だったりしますが、年を追うごとに感動が薄れてきて、時間が経過するのも早く感じます。

高齢になってから、自由な時間が増えても若いときに得た自由な時間より、有用ではないと思いますし、できることの選択肢が減ってしまうことも事実です。

若い時に得た自由な時間はそれだけ価値があることだと私は考えます。

そして、年を取ってから持っているお金の価値も 感受性、肉体的、精神的に衰え によって選択肢が減ることから、お金の有用性も下がり健康寿命を迎えると、お金は自分の健康を維持するための諸経費に代わってしまいます。

このグラフは、若い時と、高齢になったときの時間的価値を独断と偏見で可視化したものですが、私の年齢別における時間の価値はこのようなイメージです。

人生100年時代になぞらえて、100歳で寿命を迎える想定です。

定年より早く仕事をリタイアすることに非常に価値がある。

先ほども言いましたが、年を取ると、時間の経過が早く感じるのは若い時より感受性、肉体的、精神的に衰えたということになります。

この衰えは、自己投資により落ちるスピードは落とせるかもしれませんが、人間老いには勝てません。

逆に若い時に労働によって時間を奪われることは非常に残酷とも言えます。

なぜなら、日本の年功序列制度によって若い時の給料は低くなっているからです。

まとめ

時は金なりといいますが、時間の有限性、お金の無限性と若い時のお金の価値を考えると、

時は金以上

だと思います。

いかにこの事実に早く気づいて、労働による時間搾取から自由な時間を取り戻すことに注力することが非常に大事になります。

そのためには、下記の記事を参考にしてみてください。


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